現在のJR福知山線は明治32年に阪鶴鉄道が福知山までの敷設を完成したものです。その中でも生瀬から道場にかけての武庫川(生瀬川)すれすれに走る線を開通させる工事は難を極めました。ダイナマイト事故で数名の朝鮮人労働者に死者が出たことも確認されています。
これらの難工事を経てようやく完成された阪鶴鉄道ですが、開通間もない明治40年に国鉄に買収されてしまいます。しかし、難工事による資金難を乗り越えて経営を行ってきた幹部職員は、箕面有馬電気軌道、現阪急電鉄を作る上で重要な役割を果たすことになりました。事実、初期の箕面有馬電気軌道の本社は阪鶴鉄道本社のそばにあったと言われ、創始者の小林一三は阪鶴の監査役だったと言われています。
国有化された福知山線ですが、昭和61年のダイヤ改正でスピードアップの障壁となっていた、例の生瀬〜道場が西宮名塩経由で新しく作られることになり、旧線は廃線となりました。しかし、旧線沿線には武庫川渓谷という大阪近郊では珍しい素晴らしい自然が残っていることもあって、生瀬〜武田尾はハイカーのために開放されることになりました。今回はこの廃線跡を紹介しようと思います。
宝塚の次の駅、生瀬から旧線は始まります。

上の図で、黒で示したところは廃線跡になっています。茶色で示したところは生瀬駅から廃線跡の入り口までのルートを示しています。
図からも分かるように廃線跡の入り口は2箇所あります。(1)は国道176号左側の斜面にJR西日本が置いた小さな注意看板があるところの側にロープが張ってあるところがあり、そこを乗り越えて斜面を登ると廃線跡に到達します。一方(2)は国道176号を中国自動車道の高架より少し手前まで歩いた後、左側に登っていく道路を見つけることが出来ると思いますが、その道路を少し登ったところにJR西日本が置いた大きな注意看板あり、そこから廃線跡になっています。一般のハイカーの方は(2)を使うようです。
廃線跡の入り口(2)から50m程歩くと、すぐに国道176号をくぐるトンネルがあります。このトンネルはハイカーのために新しく整備されたもののようです。このトンネルを抜けるとのんびりとした田園風景が広がります。旧福知山線でもこのあたりは田園地帯だったようです。ただ、廃線跡には枕木一つ見あたらず、地元民の生活道路として使われています。この道を数分歩くといよいよ右手に渓谷が迫ってきます。これが武庫川渓谷です。
この渓谷は、六甲山系の花崗岩や流紋岩と武庫川が長い年月をかけて築き上げたV字の渓谷で、川には奇岩がたくさんあります。ここまで岩が多いのは、昔々武庫川の一つ向こうを流れる猪名川の女神が下流の合流地点(実際には存在しません)に住む男の神様をめぐって武庫川の女神とけんかをした時に、猪名川にあった岩を武庫川の女神に投げたからだそうです。
次第に渓谷が迫って来ると、最初の橋梁である名塩川橋梁があります。この橋は保線用の通路だけが開放されていましたが老朽化が進んだために、現在は保線用の部分が閉鎖されて、逆に今まで通行禁止だった本線の部分が開放されているようです。ただ、鉄板がいつ落ちるか分かりませんので、渡る際には細心の注意が必要です。
しばらく進んでいくと、左に錆びた速度制限標や枕木を見ることができます。園芸用にはなかなか高価な枕木ですが、完全放置の状態です(傷や腐敗がひどいので使い物にはならないと思います)。しばらく歩いていくと、第二の橋梁である姥ヶ川?(解読不能)川橋梁があります。ここも、かつては保線用の通路しか開放されていませんでしたが、老朽化が激しく、現在は本線の部分が開放されているようです。
この橋梁を過ぎると、最初のトンネルが見えてきます。これが北山第一トンネルです。このトンネルは開通当初はなく、列車は横の狭い所を通っていたのですが、非常に危険であるため、トンネルを通るルートに変更されたと言われています。
北山第一トンネルの中は真っ暗で、よっぽど覚悟をしないと懐中電灯なしでは入ることができません。地元の方は散歩がてらに懐中電灯なしで入られるようですが、我々には懐中電灯が必要です。また、トンネル内は枕木や水たまりがあるので特に注意が必要です。
北山第一トンネルを抜けると、しばらく左にカーブしながら武庫川沿いを進みます。
北山第一トンネル付近に武庫川ダム建設の計画が上がっています。しかし、このダムは単なる数十年に一回の洪水を少し緩和するだけの役目しか持たない上に、このダムによる自然への影響は多大です。生瀬在住の谷田百合子氏が代表を務める武庫川を愛する会ではこのダムに対する反対署名運動だけではなく、科学的な検証や代替案の策定などを行っています。ぜひ会員になりましょう。詳しくはホームページへ。